2010年12月09日
捉え方の違い
電車で移動中、ヘッドフォンでオーディオブックを聴いていると、隣に座っていた女性に「音が漏れているわよ」というしぐさで注意を受けました。失礼しました…。
私にとっては学びの音声も、周りにとっては雑音であること(まして音漏れならなおさら)を改めて実感します。
家では夫がステレオで激しいロックを聞くことがありますが、確かに時としてそれは私にとっては雑音にしか聞こえなかったり。
同じ音を聴いても、人の感じ方、捉え方はそれぞれですね。
言葉一つとっても同じことが言えるのではないかと思います。
どちらがあっていて、どちらが間違っているとかの話でなく、違うんだなということ。
言葉の背景を聴いていると、そこにはいろいろな発見があります。
話を聴くということは、相手の世界を聴かせて頂くことなんだなと感じています。
今日もありがとうございます。
私にとっては学びの音声も、周りにとっては雑音であること(まして音漏れならなおさら)を改めて実感します。
家では夫がステレオで激しいロックを聞くことがありますが、確かに時としてそれは私にとっては雑音にしか聞こえなかったり。
同じ音を聴いても、人の感じ方、捉え方はそれぞれですね。
言葉一つとっても同じことが言えるのではないかと思います。
どちらがあっていて、どちらが間違っているとかの話でなく、違うんだなということ。
言葉の背景を聴いていると、そこにはいろいろな発見があります。
話を聴くということは、相手の世界を聴かせて頂くことなんだなと感じています。
今日もありがとうございます。
Posted by MIHO@BLC at 22:40│Comments(0)
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